-「近代消防」昭和42年4月号より-
赤色灯 第44回(その3)
辺里 鼓舞太
■半旗をかかげよ
昨年10月17日夜。店舗ビルの火災で、原因不明の爆発により消防隊員12名が一瞬に殉職した。
ナニッ!又やったか!、何ともやり切れぬ気持。待てよそれにしてはおかしい、何故新聞が騒がぬのか?
その道り。実はこれはニューヨークでの事件である。それにしても痛恨極まる。これで良いのか。人の為に人が死ぬ、こんな悲惨な事が繰り返されて良いのだろうか。戦争とは全く異質なものだけに、否共々にこの高価な犠牲には胸が痛む。
報道写真には、鎮火後も防火服装のまま居並ぶ全隊員の脱帽の中を、英雄の担架が行くところを伝えていた。筆者もキリキリと痛む胸を圧え乍ら幾度も眼頭を拭った。一昨年、東京勝島の爆発でこれを上廻る殉職に号泣した。私が言いたいのは、その時に報道陣は世間に何を訴えたかである。管理者、関係者の法律的な追及と批判に終始し、この多くの英霊を悼み、その勲功を讃えたものがあっただろうか。報道機関の無情、冷酷さに哭かされたものだった。
ところが、海の彼方のニューヨーク市長は、翌日の全市の建物に半旗を掲げる事を命じたとある。英雄を過する最高の礼であろう。どれ程大きな葬儀でも市民全部を集める訳にはいかぬ。この市長のそ置には、アメリカナイズを嫌う流石の筆者も無条件で敬意を表する。全日本の知事、市町村長さん。殉職は繰返されてはならないが、このニューヨーク市長のように消防に対する理解と尊敬と積極性を持って慾しい。「近代消防」のインタピューの時だけ調子の良い事を言ってるだけじゃ、市町村長の責任は果たせまい。
それにしても、その翌月、当のニューヨークの消防局長が日本航空の招待で日本観光にやって来た。このアメリカ人の割り切り方には驚かされた。全国の消防長各位よ、如何お思いかな。
兎も角、生命を大切にして下さい。勲章や多額の弔慰金には喜びはない筈だ。
