風化させてはならない過去の大規模災害

9月1日【新宿区歌舞伎町・明星56ビル火災】

〔平成13年(2001)9月1日、調査中、東京都新宿区歌舞伎町の小規模雑居ビル「明星56ビル」火災〕
〔被害状況〕死者44名、負傷3名、焼損面積160平方メートル半焼(耐火構造一部その他構造、地下2階地上5階、建築面積83平方メートル、延べ床面積 516平方メートル)
〔発生の概要〕発見=「店のドアを開けたら黒い煙が勢いよく室内に入ってきた。」と、3階の遊技場従業員は、供述している。店内の客や従業員には知らせたが、消防への通報は行われていない。また、ビルに設置されていた自動火災報知設備は作動した形跡はなく、初期消火も行われていない。
通報=00時59分「明星56ビル3階から人が地上に落ちました。」と救急要請が第一報で、その2分後に外部者から火災通報され火災と判明。
 当ビルは、5階建ての小規模雑居ビルで階段は室内に1か所で、3階のエレベータホール付近から出火、この階段室にロッカーやビールケースなどの可燃物が大量に置かれており着火炎上。また、これにより店舗の入口に設けられていた防火戸が閉鎖されなかったため、3階、4階の店舗に濃煙、熱気が一気に充満多くの犠牲者を出した。
 この火災を教訓に、召募駅間による立入検査制限等の見直し、消防機関・消防吏員による措置命令、防火対象物の定期点検報告制度、特定一階段防火対象物部への消防用設備等の設置強化など消防法等の改正が行われた。
・消防活動の概要は「事例で学ぶ特異火災の対応と教訓」竹内吉平著 を参照ください。

8月24日【超高層マンション・スカイシティ南砂火災】

〔平成元年8月24日、午後3時0分頃、東京都江東区南砂の28階建ての超高層マンション「スカイシティ南砂」24階から出火〕
〔被害状況〕耐火造28階、地下1階、建築面積2,067平方メートル、延べ面積3万3,209平方メートル、焼損24階159平方メートル、共用部分51平方メートル、バルコニー天井25平方メートル、エレベーター1基、負傷6人
〔発生の概要〕スカイシティ南砂火災は、日本最初の超高層マンションの延焼火災となった。出火建物の管理会社社員が自動火災報知設備により火災を覚知して24階に至りベランダでうずくまっていた女性を発見し、背負って特別避難階段から階下に救助した。
 また、清掃していた不動産従業員が廊下に出たところきな臭いにおいがしていたので、特別避難階段で24階へ行くとエレベータホールが煙で充満していた。ベランダに出ると、女性がうずくまっていたので声をかけたが返事がなかった。抱き上げてこの女性を背負い西側の特別避難階段から2階まで搬送した。
 出火点の24階は約63メートル高さにあり、先着隊は、連結送水管にダブル送水し、第1線は避難階段から24階廊下に進入したが、濃煙熱気の噴出が激しく内部に進入できる状態ではなく、玄関から内部に注水した。

◆本火災の消防活動の詳細は、「事例で学ぶ 特異火災の対応と教訓」(竹内 吉平著)をご覧下さい。
http://www.ff-inc.co.jp/syuppan/keibou.html

8月16日【静岡駅前ゴールデン街ガス爆発事故】

〔昭和55年(1980)8月16日、午前9時30分頃、静岡市の静岡駅前(紺屋町)ゴールデン街にある地上6階地下1階建ての第一中央ビル爆発炎上〕
〔被害状況〕死者15名(消防職団員5名)、負傷222名(消防職団員30名)、火元第1ビルは全焼、全半壊53戸(店舗・住宅)<一部損壊131戸、消防車両の大破炎上2両、小破1両、被害額5億5,400万円
〔発生の概要〕午前9時30分頃、第一中央ビル地下の飲食店「菊正」で、従業員が湯沸器に点火しようとしたところ、爆発が起き、同店との隣の「ちゃっきりずし」、奥の機械室などを大破。地上では直上に相当する1階「ダイアナ靴店」の閉鎖してあったシャッターが吹き飛んでしまった。菊正の従業員は隣のレストラン「桃山」に駆け込んで119番の連絡を依頼している。
通報を受けた静岡市消防本部の先着隊は33分に現場に到着、火災は発生していなかったが、人命検索、放水準備及びガス検知調査に入った。35分には警戒区域設定、45分には地下への出入口閉鎖を完了、48分には地下で相当量のガスを検知、爆発限界を超えて危険だった。しかし、野次馬は制止を聞かず、現場へ近づき現場をのぞき込むその野次馬を押し返し、50メートル離れたところに非常線を張る。それとともに連絡階段に送風機を据え付けガスの希釈、拡散を図ろうとした。
9時56分に大爆発が発生、第一中央ビルは火焔に包まれた。同ビル前に部署した消防車も爆風により変形、破損し、焼けただれ、この第2回目の大爆発で消防隊員を含む多数の死傷者が発生する大惨事となった。
第1回目の爆発は、菊正の従業員2名が無事であった、ということから小規模のものでてあったということができる。もちろん直上階のダイアナのシャッターが吹っ飛ぶほどはではあった。第2回目の爆発は、コンクリートの床、壁も大きく湾曲するなど凄まじい爆発で死者15人、負傷者222人大惨事となった。
この火災がキッカケで、防火対象物の項区分として「準地下街」が追加され、ガス漏れ火災警報設備の設置が地下街、準地下街及び特定防火対象物の地階に義務付けられた。

8月7日【有珠山噴火(北海道)】

〔昭和52年(1977)8月6日、03:30から有感地震多発。7日、09:12山頂火口原(小有珠南東麓)から軽石噴火(プリニー式噴火)を開始、噴煙は1時間後に高さ12000mに達したが、噴火は2時間半足らずで一旦休止。その後もマグマ水蒸気噴火も多発し、10月27日まで噴火活動を繰り返した。〕
〔被害状況〕10月16日と24日には降雨により有珠山全域で二次泥流が発生し、死者2人、行方不明者1人、軽傷者2人、住家被害196棟、農林業・土木・水道施設等に被害を生じた。
 有珠山は、長期にわたる活動休止期を経て、噴火を開始したのは、1663年(寛文3年)で、歴史時代最大規模のものでそれから今日まで江戸時代に5回、明治以降4回噴火している。
 1943年(昭和18年)から北麓で有感地震が頻発しはじめた。地震の頻発とともに地盤の隆起がはじまり、隆起していた麦畑の中から突然に噴火がはじまり、粘性の高いマグマが屋根山の上に盛り上がって、溶岩ドームを形成しはじめ1945年(昭和20年)9月に活動を停止した時には海抜406.9メートルに達した。この溶岩ドームは、「昭和新山」と名づけられた。
 その後、2000年(平成12年)3月31日、山腹からマグマ水蒸気爆発を発生させたが、この噴火は的確に予知され、危険地区の住民は、噴火前に避難を完了していたため、人的被害は全くなかった。





7月31日【陽気寮火災(神戸市)】

『陽気寮火災』(神戸市)
〔昭和61年(1986)7月31日、午後11時40分頃、神戸市 知的障害者授産者施設・陽気寮の火災〕
〔被害状況〕死者8人、「陽気寮」鉄骨2階建延べ面積1,027平方メートル全焼、「よろこび荘」829平方メートル半焼
〔発生の概要〕出火とともに自動火災報知設備が鳴動し、当直の職員がそれに気づき「どうした」と問うが、入所者は「誰もベルを押していない」との返事だった。もう一人の当直員は廊下から煙を発見し、一旦消火器で7号室の火を消そうとしたが消火できず、直ちに避難誘導に切り替えた。屋内消火栓で消そうとしてホースを伸ばした職員もいたが、慌てて起動ボタンを押さなかったため、放水できなかった。
 近くの宿舎から駆けつけた理事長はじめ職員の誘導によって多くの入所者を介護しつつ、避難させたが、火に興奮して、再び室内に逃げ込むものも出て混乱、消防機関が覚知するまで23分かかったことが被害を拡大した。
 この火災で男性の入所者8名が死亡した。いずれも自力で避難することが不能又は困難な者であった。しかし、職員及び駆けつけた者の努力で96名を避難させている。

7月23日 【昭和57年7月豪雨(長崎豪雨)】

〔昭和57年(1982)7月23日~25日にかけて低気圧が相次いで通過し、梅雨前線が活発となり、長崎では3時間に313.0ミリの豪雨となりなり、長崎市を中心に大きな被害が発生〕
〔被害状況〕死者427人、行方不明12人、負傷1,175人、住家全壊1,120棟、半壊1,919棟、床上浸水45,367棟、床下浸水166,473棟
〔発生の概要〕7月10日から20日にかけて、ほぼ毎日西日本の所々で日降水量が100ミリを超える大雨となり、600~800ミリに達していた。
 23日から25日にかけては低気圧が相次いで西日本を通過し、梅雨前線の活動が活発となった。特に長崎県では23日の20時頃から1時間100ミリを超える猛烈な雨が続いた。長崎市では3時間余りで313ミリの短時間豪雨となり、市内各河川の氾濫、鉄砲水、山津波、土石流などにより、死者・行方不明299名と、数多くの家屋の倒壊、浸水など甚大な被害を引き起こした。
 また、帰宅時のラッシュと重なったため、多くの車が濁流に次々と流され、土石と一緒に転落埋没した。長崎市内における放置された自動車は、路上で1,204台、河川、空地、駐車場等で364台であった。

7月11日  【東名高速道路・日本坂トンネル火災】

〔昭和54年(1979)7月11日、午後6時38分頃、静岡県焼津市と静岡市の堺の東名高速道路日本坂トンネル内の下り線での車両火災〕
〔被害状況〕死者7人、負傷2人、車両186台焼失、損害額8億4,100万円
〔発生の概要〕日本坂トンネル内下り線で、大型トラックと乗用車5台が玉突き衝突を起こし、燃料のガソリンが火花により引火爆発、さらにトラックの積荷の合成樹脂、揮発性油等が炎上し、トンネル内で数珠つなぎになって停止した車両に次々と延焼し、車両189台を焼損する道路トンネル内の最大規模の惨事となった。追突によって車内に取り残された7人が死亡、2人が負傷し、トンネル内での消火作業は想像を絶する高温下で困難を極め、覚知から約160時間後の18日午前10時ようやく鎮火した。大動脈の東名高速道路が寸断され物流に大きな支障をきたすとともに周辺道路は大渋滞を起こした。
 その後、道路トンネル内における非常用施設の設置について、トンネル等級ごとに通報、警報設備、消火設備、避難誘導説火等の設置基準が定め、これらの施設の運用基準も具体的に定められた。

6月19日  【温泉施設爆発火災】

〔平成19年6月19日、午後2時すぎ、東京都渋谷区の女性専用温泉施設シェスパの別棟〕
〔被害状況〕死者3人、負傷8人
〔発生の概要〕渋谷区の繁華街で発生した温泉採取施設の爆発火災により施設従業員、通行人まで巻き込み惨事となった。この施設は、地下1,500mから温泉を汲み上げるもので、地下1階に設けられた汲み上げポンプにより、地下から温泉を汲み上げていたが、それに伴い発生する可燃性ガス(メタンガス)の外部への排出処理が適切に行われていなかったため、充満した可燃性ガスが何らかの理由により引火・爆発したものとされている。この施設は、爆発火災により地階はもちろん、1階の従業員控室を含め、鉄骨造りの屋根まで爆破され、それにより周辺の数多くの建築物に被害を与えた。
 本事故を教訓に、この種の温泉の採取のための設備が設置されている施設にもガス漏れ火災警報設備の設置対象として強化された。

6月12日(木) 【1978年宮城県沖地震】

〔昭和53年6月12日、午後5時14分頃、宮城県沖100キロメートルを震源とするM7.4の地震が発生〕
〔被害状況〕死者28人、負傷1万1,028人、火災12件、全壊1,368戸、半壊6,067戸、
〔発生の概要〕地震による被害区域は東北から関東に及ぶ大規模な災害になった。特に宮城県、岩手県、福島県の太平洋に面した地域の被害が大きかったが、津波による被害はなく、幸に地域住民の火の始末が的確だったため火災による二次被害はほとんどなかった。しかし、死者28名のうち17名がブロック塀、石塀の倒壊による下敷きで死亡したこと、電気、水道、ガス等のライフラインの被害による都市機能のマヒなどが問題になった。
 建設省(現国土交通省)は、昭和43年の十勝沖地震の建物は概に対する反省から総合技術開発プロジェクト「新耐震設計法の開発」行われていたが、宮城県沖地震の地震被害で妥当性が実証され昭和55年に建築基準法施行令の改正が行われた。主な改正点は、
・大地震に対する安全性を確認するための構造計算として「二次設計」を新設。構造形式等に応じ、3つの計算ルートのいずれかを適用
・地震力の計算方法の見直し(水平震度時代の終わり)
・木造、鉄筋コンクリート造、補強コンクリートブロック塀等の仕 様規定も強化  など

6月6日(水) 【特別養護老人ホーム・松寿園火災】

〔昭和62年6月6日、午後11時20分頃、東京都東村山市 特別養護老人ホーム松寿園〕
〔被害状況〕死者17人、負傷25人、焼損面積 耐火造3階建延べ面積2,01平方メートルのうち2階部分450平方メートル
〔発生の概要〕松寿園は、高齢者収容施設で在園者の平均年齢は82.3歳であった。同園は消防設備、防火管理者の選任、消防計画の作成・届出、避難訓練の実施など関係法令に適合しており、また厚生省令に基づく特別避難階段も2か所備え、屋内消火栓設備、非常用放送設備を自主設置するなど、ハード、ソフト面の防災対策はかなりの水準を維持していた。
 しかし、17人もの死者を出す原因となったのは、当日の当直が2名では在園者74人に対応しきれなかったこと、初期消火、通報に手間取ったことがあげられるが、なにより自力避難が困難な災害弱者を収容する施設であったことがあげられる。
 前年の神戸市の知的障害者授産・収容施設「陽気寮」に続いた火災を受け、スプリンクラー設備の設置基準1,000平方メートル以上、火災通報装置及び一人で操作ができる屋内消火栓設備の基準の整備がはかられた。

5月24日(日)【チリ地震津波】

〔昭和35年5月23日、午前4時11分頃(日本時間)南米チリ南部沿岸M9.5、1900年以降一番の巨大地震〕
〔被害状況〕日本で、死者122人、行方不明17人、負傷872、全壊1,571棟、流失1,259棟、
〔発生の概要〕南米チリ南部沿岸で起きたM9.5の巨大地震は、チリ沿岸で10~20mの大津波を発生させ、これが環太平洋全域に波及し、なかでもハワイ諸島と日本に大きな被害をもたらした。
 津波は一昼夜をかけて翌24日震源から約1万7,000km離れた日本に到達し、北海道から沖縄に至る太平洋沿岸で4m前後の波高になり、高いところでは6mに達した。
 特に、岩手県大船渡市(死者50人)、宮城県志津川町(現南三陸町)(同37人)、北海道浜中村(現浜中町)(同11人)の被害が大きかった。
 津波警報を出すのに十分な時間があったが、日本沿岸でこれほどの規模になるとは予想されず発令がなかった。この災害を機に、このような遠地津波に対する国際協力に基づく津波警報システムが確立されることとなった。

5月13日(水) 【千日デパートビル火災】

〔昭和47年5月13日、午後10時27分頃、大阪市南区(中央区)難波新地の複合用途の千日デパートビル〕
〔被害状況〕死者118人、負傷81人、焼損面積9,736平方メートル
〔発生の概要〕千日デパートビルの3階「スーパーニチイ千日前店」で電気配管の改装中、婦人服売り場付近から出火、鉄骨鉄筋コンクリート造一部鉄骨造、地上7階地下1階の同ビル2階から4階の9,768平方メートルを焼失する火災となった。
 出火当時、7階のアルバイトサロン「プレイタウン」は営業中で、客、従業員、バンドマンなど179人が滞在していた。出火階には大量の衣料品あり、しかも化学繊維製品が多かったため猛煙が立ち上り、エレベータ、ダクト等を伝わって、7階のプレイタウン店内に充満した。滞在者のうち、22人が飛び降り死亡、96人が窒息死した。
 保安員が7階関係者に火災が起きたのを通報しなかったこと、プレイタウン側の誘導避難が遅れたこと、避難者が救助袋の使い方を誤ったこと、衣料品や新建材が有毒ガスを出して燃えたことなど多くの要素が重なったための大惨事。この最大の死者118人というビル火災は、多くの教訓を残した。
 防火管理、共同防火管理体制の強化、消防用設備等の基準の強化はじめ、既存建物への遡及適用についてもこの教訓をもとに強化された。

5月6日(木)【柿の木坂タンクローリー火災】

〔昭和60年5月6日、午前11時30頃、環状7号外回り目黒区柿の木坂付近〕
〔被害状況〕負傷1人、全焼1棟、ぼや5棟、セミトレーラー型タンクローリー1台焼失
〔発生の概要〕柿の木坂付近を走行中のセミトレーラー型タンクローリーが、急ブレーキをかけたところ、雨に濡れた路面でスリップし、並行中のの乗用車に衝突して横転。積載していたガソリン16,000リットル、軽油4,000リットルが漏洩し、引火して火災になった。
 東京消防庁は消火・延焼防止活動に努めるとともに、火災警戒区域を設定、付近住民にガス、電気の使用を控えタバコも吸わないように広報活動と、避難誘導により比較的軽微にすんだ。
 この事故を踏まえ、その管轄内にある移動タンク貯蔵所ついて、応急措置命令等ができるよう改正された。

4月27日(月) 【呉市山林火災】

〔昭和46年4月27日、午前11時10分頃、広島県呉市広町の山林〕
〔被害状況〕消防職員18名殉職、焼損面積340ヘクタール
〔発生の状況〕昭和46年4月27日、午前11時10分頃、呉市広町の民有林で、道路整備作業にあたっていた作業員の昼食用のお茶を沸かすためたき火をしたところ東南東の強い風にあおられて崖の枯草に燃え移り、異常乾燥注意報、火災警報発令中のという悪条件のもと、一挙に拡大林野火災となった。
 小径を基礎としてして防ぎょ線を設定すれば有効な阻止線になると判断、作業を開始し、その目的の防ぎょ線の設定を完了し、引き続いて燃え下がり部分に対する鎮圧しようとしたところ。
 突然、気象の変化により、東寄りの風が南寄りの猛烈な局地風となり南側火線より北側の山下草生地にに飛火と思われる火炎が上昇した。この状況を監視していた監視員より無線により避難を命じたが、飛火はさらに拡大、火勢は相乗するように稜線に向かって幅300メートル傾斜角度30度~50度の斜面を急上昇、隊員の退路を包むかのように上昇し、山頂まで約600メートルを上がり来た。

4月8日(水)【大阪地下鉄工事現場都市ガス爆発火災】

〔昭和45年4月8日、午後5時47分、大阪市大淀区(現北区)〕国分寺町の地下鉄堺筋線・天神橋筋六丁目(通称=天六)駅工事現場〕
〔被害状況〕死者78人、負傷411人、火災罹災31棟、焼損面積1,707平方メートル、爆風棟による一部損壊65棟、道路は、長さ150m、幅10m、深さ10mにわたって大きく陥没。
〔発生の概要〕地下鉄駅の工事現場で、埋設ガス管の継ぎ目部分がはずれによるガス守事故があり、調査中の大阪ガスの緊急事故処理車がエンジンを始動させたところ、車の下が燃え上がり、、しばらくして地下に充満した都市ガスが大爆発を起こした。工事現場をおおっていた重さ400kgの覆工板が広範囲に吹き飛んだほか、ガスの炎が噴出して火災となった。
 ガス漏れ事故は、午後5時15分頃とみられるが、火災の発生と爆発は5時47頃に起き、この間、周辺住民や集まった野次馬に対する適切な避難措置が取られていなかったことが、人的被害を大きくしたと、大きな問題となった。
 また、地下鉄工事に伴う埋設ガス管の取扱いやガス漏れ対策について、大きな教訓を残した。